備忘録)嵐に落ちるまでの嵐の記憶

 永遠の新規と呼ばれる立場にいると、誰に言われた訳でなくても劣等感を感じてしまい、語ることをつい躊躇ってしまうことがある。それでも、ネットのどこかに書き残しておきたいなと思ったので書きました。嵐やジャニーズの知識がそこそこある人向けです。

 

 数年前に嵐というグループに落ちた。しかし、嵐自体はファンになる前からある程度は認識していた。そんな一ファンが、嵐のことを嵐だと認識する前に見た嵐の記憶や、嵐ファンになる前に嵐とすれ違ったきっかけや経緯と、その時に抱いた嵐の印象を記憶が薄れてゆく前に述べたいと思う。

 そもそもジャニーズというものを初めて認識したのは幼少期の頃だった。1996年度から天才てれびくんに出演していた生田斗真くん、それから1998年度に加入してきたジミー。ジャニーズという存在は母親からなんとなく聞いたことはあったが、芸能事務所という概念すらよく理解できない時期だった。当時の天才てれびくんのホームページのよくある質問に「Q:てれび戦士になるにはどうすればいいですか? A:親に相談してね!」というようなことが書かれていたので、母親に「てれび戦士になりたい」と伝えたら即座に却下されて落胆した。

 小学校低学年の時に強烈に印象に残ったCMがあった。それがあのエスキモーpinoだった。白くて狭い空間の中で男子二名が何故かピノというアイスを貪っていて、ピノに棒を突き刺すごとに尖った棒が部屋の中にぶっ刺されていくという恐ろしいCMだ。二人を目掛けて何本も迫ってくるそれらを巧みに避けながら笑顔でpinoの宣伝する二人。

 まだ何が本物で何が偽物かも判断できない年齢だった自分にとって、このCMは衝撃的だった。「なんて危ない撮影なんだ。もし彼らが一歩間違えてNGを出してしまったら二人は串刺しになって死んでいたんだぞ」「お前らも呑気にレッツプスとか言って食べてる場合じゃねーよ、死ぬかもしれなかったんだぞ。仕事断れよ。よく無事だったな」とCMを見て思ったことを覚えている*1

 この時は「このお兄さんたちは、天てれに出演しているような人たちなんだろうなあ」程度の漠然とした認識しかしていなかったが、それから何年かが経ち、なんやかんやあって嵐にハマり情報収集をしていたところ、あの男子たちが嵐の二宮と相葉だったことを知った。その時、脳内に生じたユリイカ効果(またの名をアハ体験*2)の衝撃が凄まじかったのを今でも覚えている。今現在担当しているコンビが十数年前に棒に追われつつも無事に生き延びた人達だったなんて思いもしなかったのだ。

 それからユリイカは度々訪れる。子供の頃に見ていた「忍たま乱太郎」のエンディングや「忍たまがやってくる」というステージショーで歌われていた曲、0点チャンピオン/Junichi&JJr(1995年)*3のコーラスに嵐の大野が参加していたことを知った。「ああ、私がこの曲を聞きながらテレビの前で踊っていた頃にはもう、大野さんは仕事をしていたんだ」と、彼の芸歴の長さを身をもって実感した。ちょうど私が物心がつきはじめた頃に嵐のメンバーは芸能界へと入っていった。

 別の日に嵐の動画を漁っていたら、ふと既視感を覚える映像が流れた。男の子のお手伝いをする白い布に包まれた透明人間。UFOから舞い降りてくる宇宙人*4。見たことがあるような気がするけど、小さい頃の記憶はどれもあやふやで、どうも確信が持てなかった。あの頃はテレビが面白くて毎日テレビに張り付くほど見ていたから、もしかしたら違う番組で似たような企画があったのかもしれない。記憶違いかもしれない。そう思いつつ検索してみたら、見事脳内で点と点が繋がった。

 天てれの斗真とジミーが出ていたジャニーズのバラエティ番組があった。嵐オタになるまでは番組名を完全に失念していて、ギリギリ覚えていた部分といえば、変装していたタッキーがギャルにバレてにカンチョーされるシーンや、お父さんがクイズに正解し続けたら娘が芸能人と二人きりになれるコーナー。その中でも一番好きだったのがGAKIOHAZARD(ガキオハザード)だった。挑戦者の子供たちがゾンビだらけの屋敷に入ってミッションを遂行したらご褒美に好きなオモチャがもらえるというコーナー*5が好きで好きで、私だったらゾンビをこう避ける!こう倒す!とシミュレーションするのが楽しかった。いつかそのコーナーに出るのが夢だったのに、気付いたら番組が終わっていたという儚い思い出があった*6

 調べてみると、記憶に残っていたそれらの企画は全て「ガキバラ帝国2000!」という番組にあったことが判明した。GAKIOHAZARDもタッキー王子もお父さん中間テストもこの番組にあった。私はあの時この番組を見ていて、嵐が出ていたコーナーも見ていたんだ、十年前の記憶は間違いじゃなかったんだ、とその時確信した。引き続き番組を見ていると、嵐のメンバーが出ていた「シルエットロマンス」という企画を「学校へ行こう!」のコーナーだと勘違いしていた衝撃もあった*7

 嵐が出ていたことが判明した時、一番最初に思ったことは「嵐出てたの!?!?」だった。タッキー王子、ジミー、斗真くんは覚えていたが、その他のメンツに「嵐」というグループがいたことを全く知らずに番組を見ていたのである。その後すぐさま「何で当時の自分は彼らに興味を持たなかったんだ!何でガン見しなかったんだ!」と自責の念に駆られた*8。しかしあの頃は当然ながら彼らを応援できるほどの財力も自由もなかったので、もし好きになっていたらそれはそれでつらい思いをしただろうから、結果として新規と呼ばれようが自分なりのタイミングで再度出会えて良かったなと思っている。

 あの時、透明たんが嵐のメンバーであるということも知らずに「私も透明人間に救ってもらいたいなぁ」「私のところにも来てくれないかなぁ」「私もあの笛ほしいなぁ」などと思っていた上、あの宇宙人だって本物の宇宙人だと勝手に思い込んでいて、嵐の大野だったとはこれっぽっちも知らなかった。私は既にあの時に嵐に出会っていて、いずれ好きになる透明人間(a.k.a.二宮)に助けてもらいたいなどと考えていたのだ。いつからいつまでが嵐の"低迷期"だったのか存じないけど、当時の嵐だってそれなりに面白いことをやっていたし、十分子供に夢や希望を与えていたんだよ、と伝えたくなった*9。透明たんに助けてもらったあの男の子もきっと、その一人であろう。

 2000年辺りは本当にあらゆる番組を見ていた。ジャニーズでいえば、ザ!鉄腕!DASH!!も見ていて、記憶の片隅にある「新2000円札 より遠くの人と両替できるか!?」や「右折だけで目的地へ辿りつけるか!?」もちょうど2000年に放送された企画だった。見ていた番組の中でも学校へ行こう!は特に印象に残っており、ジャニーズで言えばV6の岡田くんが好きだった。非公式だったとは知らずに近所で売られていたシールを買ったり、写真をデスクライトに貼ったり、ポスターを壁に貼ったり*10、岡田くんに抱きしめられる夢を見ては興奮していた。2000年8月8日の学校へ行こう!のコーナーで放送された、いやし系ミュージシャンの江ノ島ライブ(無料)に偶然行けることになり、肩車越しに岡田くんのズラを見ることもできた。

 V6がライブ的なものをやっていたり、カミセンとトニセンというグループに分かれている*11という知識はうっすらとあったが、「V6がやってる番組が好き」という意識の方が強く、コンサートを見に行ったりファンクラブに入るほどの熱意もなく、ジャニオタと呼ぶほどでもないライト層の茶の間ファンだった。

  気付いた時には年末はジャニーズカウントダウンライブと決まっていたので、ジャニーズというものを具体的に理解していなくても「ジャニーズはイケメン集団だ」という認識はそのうち構築されていったのだろう。しかし、カウントダウンを見る前にも無意識的/意識的に聞いたことのある、今でも染み付いているジャニーズ曲が沢山ある。

  • 三宅健+αが出演していた「ネバーランド」の主題歌(出せない手紙/V6)
  • こち亀のED(ナイスな心意気/アラシ)
  • 犬夜叉のOP/ED(CHANGE THE WORLD/V6*12、BRAND-NEW WORLD/V6、One day, One dream/Kinki Kids
  • ごくせんの主題歌(Feel your breeze/V6)
  • どこで聞いたかも覚えてないキンキや滝翼の曲たち
  • Darling/V6*13
  • みんなでワーッハッハ!/TOKIO

そう。私はごくせんをリアタイで見ていたのであった。でも新規だった故に、ファンになりたての頃は知らない情報がまだ沢山あった。どこからともなく流れてくる情報に目を通す日々の中、ふと「松本潤小栗旬はごくせんで初めて共演してから…」という情報が目についた。

 ん?待って…ごくせん?え、あのヤンクミの?…え!?見てたよ!!?うそ!!!あのメッシュ、松本潤だったの!?!?!?

 ナチュラルに入ってきた情報があまりにも想定外で、ユリイカどころか脳みそが停止してパルプンテ状態に陥りながらも平常心を保ちつつググった。それはどう見ても完全に松潤だった。知らず知らずのうちに嵐が出ているドラマを見ていたなんて思いもしなかったのである。普通に楽しんで見た記憶しかなかった。不良役はきちんとハマっていたように思う。

 またある日は勉強に飽きて、現実逃避ついでにノスタルジーに浸ろうと思い、覚えていた歌詞を頼りに久しぶりに聞きたい曲を検索した。その一つが「青空の果て」というタイトルだった*14。どうやってこの曲を知ったんだっけ?と思いWikipediaを開いた。あー!「ヤンキー母校に帰る*15」だ!懐かしい!とドラマのWikipedia記事を開いたら、出演者の項目に既に踏んだことを意味する紫色のハイパーリンクが。

相葉雅紀)」

 え、えーーーー!!!ヤンボコに相葉雅紀出てたのーーー!?!?待って、どれ!?生徒じゃなくて先生だったの!?あ、あーーー!!!?まさかあのロン毛黒髪メガネーーー!!?!?あいつジャニーズだったのおおお(以下略)

 ドラマを一度しか見たことがないにも関わらず、黒髪メガネの記憶が走馬灯のように蘇った。良い意味でジャニーズには見えなかった。気弱な青年の役柄だったような。どちらかというと落ち着いた表情が多かったような印象がある。子供の目線からは特に悪目立ちしているような気配はなかったし、彼の演技にも特に疑問は持たなかった。(しかし今思えば、よくそんな若さで先生役ができたなと思った。)当時人気上昇中の若手俳優*16ばかりいた中、あの黒髪は「あまり見たことのない俳優さんだなあ」と思ったことをはっきりと覚えている。髪とメガネは彼によく似合っていた。

 そして衝撃は立て続けに訪れる。ネットで櫻井のCMを見ていた時のことである。

 翔ちゃんってヤンキー役多いなあ…。ん…?あれ…?ヤンキー母校に帰る…?え、あの、帰ってきた…スペシャル…の…主人公…だって…?噓だあああ!!!!見てたわああああ!!!!このCMも見たことあるわああ!!!あれ翔ちゃんだったのかよオオオアアアア(以下略)

 嵐を嵐とはっきり認識する前から嵐が出演していたドラマをガッツリ3本も見ていたのである。無知とは罪であった*17

 それから櫻井に関する情報を引き続き漁っていき、「木更津キャッツアイ」に遭遇する。このシリーズで櫻井がV6の岡田くんと共演したことで有名なことはうっすらと聞いてはいたが、まだ見たことはなかった。どんなものなんだろうとググった画像の中に見覚えのあるマフラーを目にして何かが脳裏をよぎった。

 

 

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見覚えのあるマフラー

 それは小学生の頃に貼っていた岡田くんのポスターだった。まさか小さい頃に部屋に飾っていた岡田くんのポスターまで間接的にとはいえ嵐に繋がっていたなんて思いもしなかったのだ。お、お前…ぶっさんだったのか…!!!その時私はジャニーズのバーターシステムが凄いものであると改めて思った*18。また、家に溜まった週刊少年ジャンプを破棄しようと最後に見返していたら、表紙の裏に木更津キャッツアイとコラボした資生堂unoの広告や、映画版のハチミツとクローバーの広告、捨てようとしたTV雑誌には嵐の予習復習くんという連載が残っており、びっくりしてひっくり返ったこともあった。

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素敵なギャップを披露する櫻井翔(2006)

 家にあったものといえば、数年前に部屋を整理していたところ、好きな芸人や俳優の切り抜きを保管していたフォルダを発掘した。そのファイルをめくっていると、その時に自分が「イイオトコ」だと思った人のページも気まぐれに切り抜いていたことを思い出した。当時は名も知らなかった黒髪時代の手越や、口ひげを生やした村上信五などを捨てずに取っておいていたのだ。次のページを開くと、同アイドル誌に載っていただろう嵐の切り抜きはなかったのだが、その代わりに別の雑誌に載っていた櫻井と二宮が切り抜きが残っていた。それは山田太郎ものがたりのインタビュー記事だった*19。何故か二宮の方が大きく写ったページは何を血迷ったのか覚えていないが残されていなかった*20。その為、櫻井翔の方のみが切り抜かれた記事は「なでがたさん」の話題の途中で強制終了しており、こちらのページに載っていた「Q:櫻井さんが今年のお正月にハマったWiiのゲームは?」というクイズの回答もしばらく謎のままであった*21

 他に嵐と軽くすれ違った瞬間といえば、どこで聞いたか覚えていないけどJ-POPにしては良い曲だと思ったtruth、志村どうぶつ園(相葉雅紀がいたという印象はなかったけどそのポジションに誰かがいた印象はある)、ザ・クイズショウ(5秒スポットか何かを見て、「この人クイズ番組の司会やるんだ~」と思っていた)、最後の約束(カウコンを見ていたらCM中に上半身裸の男性陣が流れてきて一体何事かと思った)、東京フレンドパークの嵐ゲスト回(結局ディズニーには行ったの?)、めちゃイケの色取り忍者(当時見ていた時も面白いと思った)とか。

 次にしっかりと残っている嵐の記憶は、お昼にやっていたまごまご嵐だった。休日はお昼時に起きて一番暇を潰せる番組を何気なく選んでご飯を食べた。まごまご嵐はファンじゃなくても面白くて、ほのぼのとしながら見ることができた。だから逆に寝坊してまごまご嵐を見逃すとご飯中に見る番組がなくなって、地味にテンションが下がったことを覚えている。「私もいつかおばあちゃんになったらこのコーナーに応募したいなあ」と、彼らも同時に歳を取るという事実なんてそっちのけで思ったこともあった。徐々にコーナーが変わってゆき「まごまご要素どこやねん」と不思議に思ったこともあったが、どのコーナーもそれなりに楽しめた(城下町だけがイマイチな印象だった)。もしかしたらエンディングで嵐の楽曲やコンサートの宣伝が流れたことがあったのかもしれないが、嵐が歌手やジャニーズであるという事実は自分の中にはあまり浸透しなかった。カウコンで見かけたことがあるのかもしれないが、当時のジャニーズといえばKAT-TUNの印象の方が強く、嵐のことは全く記憶になかった。しかし、この人達が「嵐」であるということは、この番組を見ているうちに無意識的にインプットされたような気がした*22

 私はまごまご嵐を通じて嵐のメンバーの名前とキャラクターを知った。相葉くんはなんかもうやたらめったら面白い人。ボケ担当。当時の金髪がチャラく見えた。櫻井くんはボケもツッコミもこなすイメージ。でも脳内は噓で出来てる。キャプテンはやる気がなさそうに見えるけど絵は上手い人。ふにゃふにゃなボケ担当。松潤は王道なイケメン顔してるけどちょっと怖い人。マジレス担当。二宮くんはゆるく見えるけど、彼の口から出てくる一言は毎回絶妙で、面白くてかっこいい人。もはやツッコミの技術もボケの領域に達していて、私の頭の中ではグループ内で最も際立っていた。

 この番組をきっかけに私は嵐を嵐と認識するようになった。ところが、ちょうどその番組がやっていた頃に大野が嵐を辞めようかと悩んでいたことを2014年に放送されたNHKの特番で知り、なんとも言えない気持ちになった。私が嵐の話を母にすると、「お昼にやってた番組で大野くんが描いた絵、上手だったねえ」と言う。もともとテレビをあまり好まない母親が、一度しか見ていない番組の詳細をよく覚えていた。当時の彼のテレビでの活躍はファンでない人の記憶にもちゃんと残っていた。

 私の認識していた「嵐」は完全にバラエティの嵐だった。テレビをつけて偶然「驚きの嵐!」の特番が放送されていたら必ず見ていた。くだらない実験ばかりだったが、当時子供だった自分からしたら夢に溢れた実験ばかりだったから心を躍らされ、目をキラキラさせながら番組を見ていた。母は船のシリーズが好きだった。この時にはもう「嵐の番組って面白いなあ」という認識は十分にあった。しかし、当時の自分は趣味がある程度確立していたので、新しいジャンルに手をつけようとはこれっぽっちも思っていなかった。

 学校で「花男の道明寺が好き」「魔王見てる」「宿題くんっていう番組が面白い」という話を一度くらいは耳にしたことがあったが、当時の自分には見る理由が特になかったので見ていなかった。そのうち、嵐の話をしていた人たちは違う趣味にハマっていき、その人にとって嵐は過去の人となった。しかし、あの時に嵐の番組やドラマ、メンバーのことが好きだと明言した人たちの嵐の語りは忘れてはならない気がした。嵐は自分たちに与えられた時間の中で確実に誰かのことを楽しませ、幸せにしていた。

 次によく覚えているのは2008年から始まったお昼のVS嵐。いわゆる東京フレンドパークII系統の番組という認識だったが、酷似している部分があったというわけでもなくオリジナルのゲームで挑み、知らないゲストでもトークやゲームで十分に楽しむことができた。VS嵐がゴールデンに進出した時は「面白い番組が正当な評価を得て良かったね」と素直に祝福した。その頃からだったか、auやしらたき麺のスープのCMで健全な青年を演じる二宮を見かけては「かっこいい」と意識し始めた。

 その時期、私はニコニコ動画という動画共有サイトを見るのが趣味の一つだった。当時好きだったニコニコのゲーム実況者がある日ブログで「流星の絆」というドラマを勧めていたことをきっかけに、見てみようと思ったのだ。それはそれは面白いドラマに仕上がっていて、こんなドラマもあるのかと感心した。その時気まぐれに数秒だけ録画したシーンは、おでこに冷えピタを貼った二宮が錦戸と外で対峙するシーンだった。二宮のことをかっこいいと思ってはいたが、私はそれと同じくらいポストイット高山の顔に釘付けだった。私の中でジャニーズとは茶の間で嗜む程度のもので、本格的なファン活動とはずっと無縁であろうと思っていた。

 それからはVS嵐を定期的に見つつ1年が経ち、2009年。夜ご飯を食べる時にテレビをつけたらまた偶然「驚きの嵐!」の特番に遭遇した。それはデビュー10周年記念の特番だった。しばらく見ていると「このあと3D実験生ライブ!」という予告が流れ、再び目を輝かせた。

「この人達はなんて素晴らしい実験をするんだ」

 普段はあまりテレビ番組を録画をしなかったのだが、その時の私は夜ご飯を食べるのを一時中断し、走ってパソコンに向かい録画ボタンを押した。当時所持していなかった3Dメガネをいつか作った時に見ようと心に誓ったのだ。

 それから数ヶ月が経った2010年のある日、どこからか「嵐にしやがれ」という新番組がスタートすることを聞き、試しに見てみた。それが驚くことに絶望的に面白くなかったのだ。あまりにも見るのが苦痛だったため、何回目かで見切ってしまったのだ。あの時は二宮のことが軽く好きだった程度で、その人の為に無理してまでつまらないものを見ようとは思わなかった。

 しばらくして二宮と相葉のWiiのCMがふと目に入った。「楽しそうにゲームを遊ぶなあ」と思った。残念ながらゲームの遊び相手の姉が3D酔いするので購入は見送られたが、CMを見て欲しいと思ったのは確かだ。Wii PartyのCMが放映されていた頃には「嵐が出てる面白い番組は好き」や「嵐の二宮くんってかっこいい」だけではなく、「嵐の二宮くんが気になる」に発展していた。また、とある試験を受けに行った時に某駅から降りたらWii Partyの巨大な広告に迎えられた。そのポスターを目にして、単純に嬉しい感情を抱いた。彼らの笑顔は試験に挑みに行く憂鬱な気分を吹っ飛ばしてくれた。

 それからなんやかんやあり、自分の中で正式に嵐の二宮に落ちた。見捨てたレギュラーも今まで見たことがなかったレギュラーも見るようになり、ラジオも聴き始め、オタ路線まっしぐらな日々を過ごした。そして雑誌を買い集める習慣がついた頃にその瞬間は訪れた。「フリーター、家を買う。」の宣伝を兼ねた二宮が表紙の週刊ザテレビジョンに、二宮のポスターを立体的に見るための3Dメガネが付属していた。その時、脳内のフォルダの奥底に埋まっていた記憶が蘇った。私は昨年3Dメガネを渇望していた。すぐさま古いパソコンに向かい、久々にそれを立ち上げた。番組の途中から再生が始まったその映像はどこか懐かしく、当時リアルタイムで見ていた時とは異なる印象を抱いた。何故この時からハマらなかったのだろうという後悔の念に駆られつつも、3Dの場面を心待ちにした。嵐を生で見たことがなかった私は、この実験が彼らを立体的に見る初めての機会だった。カメラの前で自由に戯けつつも視聴者と繋がろうとする5人はまさしく「アイドル」に思えた。3Dメガネ越しに見た映像は少しぼやけていたが、それでも世紀の実験を行う彼らの姿は輝いて見えた。こうして私は1年の時を経てようやくあの実験の成果を見ることができたのであった。

 最初は嵐の二宮だけに興味があったのが、レギュラーを見続けるにつれ他のメンバーにも魅力を感じ、気付いた時には嵐全員が好きになっていた。そこでやっと胸を張って自分のことを嵐ファンだと言えるようになった。

  家庭の事情で私はファンになって間もないうちに日本を離れた。嵐のオタ活動が満足に出来ずに絶望に打ちひしがれる日々を何年も過ごした。遠くから応援することにも慣れてきたある日、課題に追われ徹夜で朝を迎えた私は現実逃避にツイッターをふと見た。日本時間、2014年5月8日の深夜0時半を過ぎた頃だった。自分がいる地で嵐がコンサートを行うことが正式に発表された。思えば今まで嵐とはすれ違うばかりの日々だったので、その時初めて嵐と「巡り会えた」ように思えた。それまでずっと抱えてきた苦悩は一瞬にして吹き飛んだ。

 嵐は時たまインタビューやコンサートの挨拶で新規のファンの心を救う話をしてくれる。現地時間の2014年9月20日、ARASHI BLAST in Hawaiiの最後の挨拶で松本潤がこう言いました。

タイミングはそれぞれ違うかもしれないけど、みんながこの15年のうちのどっかのタイミングで僕らを知って、どっかで「こいつら面白いな」って思ってくれて、「ちょっと応援してみよう」…僕らに繋がってくれて。みんながそうやって繋がってくれたおかげで、15年間この5人でやってこれました。みんなにとって、この15年はどういう15年でしたか?

 15年前、岡田くんのポスターが貼られていた壁には、今は嵐の二宮と嵐5人が写ったポスターが貼られている。今のところ剥がす予定は、ない。

 

*1:偽物だって教えてくれるメイキングってすごく大事

*2:英語ではEureka Effectと呼ぶ。NMB48の「僕らのユリイカ」が好きであえてこの表記

*3:作詞が秋元康だったことに驚いたのはまた別の話

*4:今演じてる宇宙人(アレグラ)はビジュ可愛くて良かったね

*5:記憶を頼りにしてるので詳細が間違っていたらごめんなさい

*6:今考えてみるとジュニア時代にバイオ1をプレイしたことある上にバイオハザードごっこまで生み出した二宮がコーナーを担当してないってなんか興味深い

*7:調べてみるとどちらもTBSで同時期に放送されていたから記憶が混同していた模様

*8:新規のジャニオタあるある

*9:今でもあの笛がほしい

*10:シールもポスターもまだ家にある

*11:小さい頃はトニセンいらないと思っていたけど、今思うと彼らはあの6人で良かったと思っている

*12:ようつべでググったら海外の方の弾いてみたがあって驚いた。アニソンになったジャニーズの曲は世界のアニオタの記憶にも残るわけだ

*13:きみはペットはまだ未視聴

*14:そのこともあって、初めて「青空の果て、キミのとなり」というタイトルを聞いた時、勝手に怖い印象を抱いた

*15:前クールのWATER BOYSに出てた石垣佑磨目当てで見た

*16:どうでもいいけど当時主人公をイチローだと思ってた

*17:でもハンドク!!!やStand Up!!は当時の年齢的に見なくて良かったと思う

*18:多分本来はそういう為のシステムではない

*19:2007年9月発売のan・an

*20:過去の自分をグーパンからのアッパー案件

*21:A:ドラゴンボール

*22:番組名って大事